雑記

メンヘラ拗らせ野郎の日記的な

ピアノ

 

12年間ピアノ教室に通っていた。

1週間に1回、30分のレッスンだった。

始めたきっかけは、たぶんリトミックをやってたとか、音楽が好きだとかそんな理由。

 

けして厳しい教室じゃなかった。

1週間普通に練習して成果を出せば怒られることはなかった。ていうか基本怒られなかった。

 

グランドピアノやアップライトみたいな生のピアノじゃなかった。

最初はキーボードで、しばらくしたら叔母のおさがりの電子ピアノで弾いた。

 

最初はとっても楽しかった。

上手に弾けると祖父や祖母が喜んでくれた。母もほめてくれた。

わざと窓を開けて弾いた。お隣さんにもほめられた。

頭も柔らかかったから、3回くらい弾けば覚えられた。

同い年でとっても上手な子がいた。学区が違うかったから同じ学校ではなかった。

 

中学生になるとそれどころじゃなくなった。

新しく吹奏楽部に入った。打楽器を始めた。

先生は尊敬できるいい人だったけど怖かった。

ピアノの練習はおろそかになっていった。でも好きだった。

合唱コンクールでピアノ伴奏に選ばれたい、と思えるくらいには好きだった。

伴奏を任されることになった。当時好きだった子が褒めてくれた。

 

高校生になるとますますそれどころじゃなくなった。

通学に1時間かかる辺鄙な田舎に住んでいたせいだ。

ピアノ教室の時間に間に合わなくなっていった。先生も仕方がないという顔だった。

練習する暇なんてなかった。

それでもまた吹奏楽部を続けた。ピアノが弾けることを言ってしまい、

神がかり的に上手な後輩が入ってくるまでピアノを任されることが多かった。

悔しかった。自分は打楽器奏者だという自負があった。

ピアノの前から同期や先輩を見ていた。私も打楽器がしたかった。

 

 

◇◇◇

 

そのピアノ教室には2年に1回発表会があった。

順位を決めるというわけではなく、ただ練習の成果を発表するものだった。

地元唯一のホールを1日貸切って行われた。

 

いろんな曲を弾いた。

エリーゼのためにノクターン大きな古時計など、いっぱい練習した。

 

ある年、といってもいつのことなのか思い出せないのだが。

高校生の時この体験を友達に話した記憶があるので、多分中学生の時だと思う。

その年、私はアヴェ・マリアに挑戦した。

 


Ave Maria by C.F.Gounod アヴェ・マリア グノー

 

練習した。簡単だった。

ただ覚えられなかった。発表会は基本暗譜なのだ。

メロディーは聞き覚えがあるからいい、問題は伴奏だ。

似たり寄ったりでまったく判別がつかない。覚えられない。指に覚えさせる時間もない。

 

もうどうにでもなれと挑んだ。

舞台に上がって客席に向かってお辞儀をした。ピアノ椅子に座った。

鍵盤に指を置いた。

 

そこからの記憶が全くない。

 

気が付くと家について父の車から降りるところから記憶が始まっている。

弾ききってお辞儀をした記憶がない。

あそこ間違えたなあなんて記憶もない。

お昼ご飯を食べた記憶もない。

全くなにも覚えてない。

 

ただぼんやりとあるのは、泣きながら

「もう覚えてないんです、弾くのやめさせてください」と

舞台の上から先生に懇願する自分の姿だ。

 

本当かどうか怖くて両親に確かめられないまま何年も過ぎていった。

ただ、次の発表会からは楽譜を小さくコピーしたものなら持ち込んでもいいことになった。

 

 

それでもたぶんピアノは好きだ。